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    ※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません

2014年8月 9日 (土)

【N】クハ181-0番台の製作(第3話)

KATO181系セットのクハ181を0番台にする件の第3話です(゚ー゚;

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ついに、クハ151(こだまセット10-530のもの)のジャンクボディ(ボンネットに点検蓋が無い)を入手し、運転室屋根をクハ181-100から移植して、かなりクハ181-0番台に近づきました。(笑)。

ただしまだ以下の加工が出来ていません。

・バックミラーの撤去(引っこ抜くだけでは見苦しいので、とりあえず存置)

・客室部の屋根(両側にガラベンがついていない)。

→KATOのクハ181とクハ151は屋根パーツの取り付け爪の位置、形状が異なる。

・運転室屋根に予備ホイッスルと信号炎管設置

・車番がクハ151-5のまま(笑)、サボも東京-大阪のまま。

あと、先頭部側面の通気口が1つしかないタイプなので、車番としてはクハ181-1~6になりますが、上野口晩年までロングスカートを維持していたのは、3、4、5番なのですが、3と4はかのチャンピョンマーク取り付け車ですし、5番はスカートのタイフォン穴が丸形の異形車です。さぁどうするか・・・チャンピョンマーク取り外し後の3番が無難かしら。

なお、「あさま」は、Assyでクハ180を買ったのみで、「とき・あさま」の車両を流用です。

両端クハで中間車が全部電動車(モロ×2+モハ×4)という編成も実在したということなので、それでいいことにします。でもあさま名物のサロもいいんだよな。(最後までビジネスデスクが残っていたという。)

ちなみに残ったクハパーツで、いつかトップライト撤去前のクハ181とき再現用に、しばらく保管。

2014年3月 8日 (土)

【懐】あけぼの

ブルトレの「あけぼの」が今月15日で廃止になります。

今さらお別れに、といっても上野は鉄な方で激混みでしょうから、止めときます。

「あけぼの」は、最後の20系定期特急として有名ですが、それよりも最後の昭和ブルトレとなろうか(サンライズになった瀬戸・出雲を別にすれば)。

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上野駅で回送準備中の24系「あけぼの」。(昭和56年)

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機関車のヘッドマークが復活した直後。EF65用のマークは平仮名部分の文字が太かったのがちょっと気に入らなかった。(昭和59年)

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上越線経由になり、同時にEF81通し運転になったころ。(1999年)

今年のGWは予定臨の設定があるようなので、その時に撮影に出ようか。

2014年2月19日 (水)

【ラ】大石家 佐久平店訪問

知人との間で、「大石家」いうラーメン屋が話題になった。

http://www4.ocn.ne.jp/~fuji/ooishiya/

長野県在住時には箕輪店に通ったが、もう10数年以上ご無沙汰だったので、現住所(さいたま市)から一番近い「佐久平店」に行ってきた。

最近流行りのラーメンは、家系などのドロドロスープ、醤油とんこつ系統ということになろうが、大石家のラーメンはその対極の、「透明度の高い醤油ラーメン」になる。浅草ラーメンとか、荻窪の「春木屋」といえばお解りいただけるだろう。

佐久平店の最寄り駅は、しなの鉄道の御代田駅。とりあえずは、長野新幹線で軽井沢まで出て、しな鉄に乗り換えるのが楽(結果として、今回はこれしか選択肢が無かった)。

大宮駅では、3月から営業運転に入るE7系の試運転を目撃。

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ノンストップの「あさま」で約1時間で軽井沢着。当たり前だが「横軽」の情緒などなく、あっさりしたものだ。ただし高低差までなくなったわけではなく、到着直前に気圧変化の「耳ツン」は感じた。

軽井沢から御代田まではしなの鉄道の115系に乗車。久しぶりの国鉄型電車のモーター音が懐かしい。

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御代田の駅でタクシーに乗ろうと思ったら、運チャンに「すぐそこだよ」と言われて、歩き。

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駅舎を背にして通りを右に進むとすぐT字路、「御代田高架橋」に出るので、そこを右折して御代田町役場に向かうとすぐに店発見。雪道だったが駅から徒歩10分程度だった。

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券売機で「チャーシューメン並」(1,000円)をオーダーする。

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ご覧の通り透き通った醤油スープ。最初は薄味かなと思うが、これもドロドロ系のラーメンに慣れたせいだろう。無化調の正統な醤油味だ。

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麺は、太くも細くもない至って普通の中華麺。

何と言っても、ここの売りは「焼豚」。WEBによれば、重量で半分になるまで炙りあげるとのことで、特に表面に味が凝縮されている。トロトロの煮豚に慣れていると、少し硬めに感じるかもしれないが、ちゃんと筋に沿ってほぐれる食感です。

最初は薄味かなと思ったスープも最後まで飲み干すと、水を飲みたくなる位の塩っ気が口に残ります。

久しぶりの大石家を満喫しました。長野県にお出かけの際はお立ち寄り下さい。もっとも大石家の本家は、岐阜県の多治見だそうで。

ラーメンを食べただけで、さっさと帰路に就きます(笑)。

軽井沢駅では、旧駅舎が観光案内所になっているほか、碓氷峠ゆかりの車両が保存されています。

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EF632号機。こいつが1両だけでいるとやはり違和感があります。

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鉄道記念物、EC40型が旧名の10000型で保存。軽井沢駅の改築前は駅前にあった。

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クモハ169- 6。しなの鉄道で廃車になってからここで展示されたので、車内は回転リクライニングシートになってます。

さて、帰路は少しでも安くしようかということで、横川行きのバスに乗ろうと思ったら、大雪の影響で軽井沢駅発着のバスはすべて運休となっていた。やむを得ず、帰りも「あさま」。1000円のラーメンを食べに交通費に8000円掛かってしまった。 チャンチャン。

2014年2月11日 (火)

【N】マニ20

 先のナハ20に続き、KATOのマニ20まで入手。

 10-368「20系あさかぜ初期型」の構成品だが、黒床下(Assyで売られていた)である点、単なるセットバラ売りとは違う。

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 カニ21とは、車長が違うほか、側面の窓が無い、荷物扉の窓が2つある等の違いがあるが、実車が昭和33年の1回、3両のみの製造で終わっているので、使用された列車はかなり限定されている。

 最初はもちろん「あさかぜ」だが、荷物積載量が少なく(2t)、カニ21で5tに拡大されると、「はやぶさ」の20系化の際に、新製カニ22が「さくら」に、「あさかぜ」にカニ21が充てられ、「はやぶさ」にマニ20が入った。昭和39年に「富士」が新設されると、メインに充当されるものの、同時に設定された「はくつる」に使用されるケースも多かったようです。

 昭和40年に「はくつる」は尾久持ちに変わり、マニ20は向日町転属になりますので、「はくつる」充当は1年間だけということになります。

 マニ20の印象は、晩年の「あけぼの」になるのですが、昭和43年に青森転属時に、側面機関室部に明かり窓が増設されているので、不可。

 

 まぁ、ナハ20とマニ20の組み合わせは、初期「あさかぜ」と「はくつる」だけなので、ここは「はくつる」に仕立てておきましょう。

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 あとは機関車の方だな。

 TOMIXのC6120は反則かなぁ(笑)
 

2014年2月 4日 (火)

【N】クハ181-0番台の「とき」(小加工の続き)

以前の記事で、KATO「181系100番台 とき・あずさ」セットの、クハ181-107をスカートだけ「こだま・つばめ」のクハ151のものと交換した「なんちゃってクハ181-10」を紹介しましたが、もう少しだけ手を入れてみました。ただしそれでもまだ手抜きです(笑)。

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・赤帯を消去。(シンナーで拭いただけ。)

・バックミラーの撤去。(もぎ取っただけ。痕はしっかり残存)。

・スカート孔の墨入れ(拡大すると粗々です・・・)

これだけでも、晩年のクハ181-0番台の雰囲気に近づいたかなと。(ちなみにクハ181-50番台への改造は車長(50cm短い)と飾り帯の斜めの角度が違うため、不可。)

あとはボンネットの点検蓋形状が全く違うので、そこをなんとかしたい。可能なら、クハ151を手に入れて、運転室屋根と床下を交換した方が早いのですが、そんなもんジャンクでも手に入りませんので。

2014年の新製品予告がある、KATOの「181系あさま」について、クハを0番台帯なしにしてくれると嬉しいのですが。そうでなければ、Assyでクハ180(自連むき出しのクハ)を買って終わりにするかも。

【N】最近入手したもの(KATO ナハ20)

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KATOの20系で、最も入手困難だったナハ20がやっと手に入りました。

もともとは、10-368「20系あさかぜ初期型」のセット品ですが、10-368が中古でも高値で推移し手が出なかったこと。先に同セットのナハフ201(平面ガラス窓タイプ)を手に入れていたので、残るはナハ20だけでした。

単品で少し高かったのですが、いつまでもセットの掘り出し物を探し続けるのも疲れたので、思い切って入札。

もとより、グレー床下で初期20系を組成するつもりは全く無かったので、入手後すぐに床下の黒色化を実施しました。同じ形態の床下を使用しているのは、ナロ20とナロネ22ということがわかっており。ナロネ22に余剰車があったのでそっくり入れ替え。

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 これで20系晩年の「はくつる」と最後の座席車組み込みの「ゆうづる」が組成できるようになりました。

【N】最近入手したもの(Bトレ上信デキ1)

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懇意にして頂いている模型クラブの運転会で、N氏が持ってこられていたの見て感動し、慌てて入手。模型店店頭では在庫は無かった様子なので、通販で在庫があるのを見つけて急ぎ発注し目出度く手元に来ました。

Bトレといえば「ショーティー(寸詰めデフォルメ)モデル」なのですが、このデキは「ショーティーではありません。」の触れ込みで、スケールモデルとまでは標榜していないながら、いい出来でした。何より、デキ1、2、3のバリエーション用のパーツまであるこだわりが有りがたい。

早速、Nとして走らせる加工を施します。ショーティーではなく、ちゃんとボギーになっているので、動力ユニットは機関車用ではなく、客車・気動車用の「3」を用います。

外観重視で、動力ユニット組み込みのアーノルドカプラを使わず、ディスプレイ用のダミーカプラを生かします。ただこのカプラはダミーと思ったら、ちゃんと高さも合っているし、制限はあるものの連結もできます。なお動力ユニットのアーノルドカプラは、根っこからバッサリ切り落とします。

もう1両は動力なしで使いますが、同梱のプラ車輪+シャーシのままでは滑りが悪く脱線してしまうので、これも「走行台車T」に交換します。

パンタグラフはGMのPS13が屋根の差し込み穴にぴったり嵌ります。

なお、車体表記は、付属品がシールなので、当面は貼り付け保留。その方がリアルかなと思われるので。

難点は、軽すぎて空転しやすいこと。今は隙間に入れられる重りを入れてはいますが、普通のNの機関車の様にはいかず、数両の客車連結にはちょっと耐えられないようです。

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これでとりあえず、上信デハ200系を牽引させます。まさにパッケージ写真通り。

デハ200の方は、TNの密自連タイプ(0374)の台座を生かしてカプラを自連(0373)のものと交換して取り付けました。これが一番デキのカプラと合う様です。ただし連結するときは、上からナックル部をはめ込むようにしないとダメです。(解放させての連結は不可)。

なお、デキ+デキ+デハ200+クハ300のイベント編成で走らせるときは、必ずデキのT車を前位に持ってくる必要があります。動力車を最前部に持ってくると、デキ+デキ部、つまりダミーカプラ部の連結が耐えられなくて(上下のガタが大きいので)、段差で切り離してしまうため、T車は後ろから押してやる様にします。

カプラユニットを総取り替えするとかすれば解決するかもしれませんが、まずはお手軽にここまで。

2013年6月30日 (日)

【N】EF56 1次形

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KATOのEF56 1次形、2台買って6号機と7号機を作り分けてみました。

どこが違うかわかります?

ちなみに、同梱されているナンバーは、2,3,6,7。

2号機と3号機は側面フィルターの数が違うので使えません。

2013年6月 8日 (土)

【N】プチ改造2件

①DF50 26 制作

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お召し運転時の特別整備で、白帯部分をステンレス装飾にしたのが26号機と8号機(昭和46年の和歌山国体時と聞いている)。26号機はその姿のまま生き延び、亀山のDF50全廃時には高松に転属しそのまま活躍している。四国特有の前面補強やヨロイ戸フィルター化されずに昭和56年に廃車になった。昭和55年に遭遇した時の写真はこれ↓。

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模型の方は、改造と言っても帯部分に「ミラーフィニッシュ」(ハセガワ)を貼っただけ。あと修正すべき点として、前面下部の手すりを短くするべきなのだが、今回はここまで。テープの貼り方も結構雑ですが、実物に近い感じということでご容赦願いたい(笑)。

②「なんちゃって」クハ181-0番台制作

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KATOの「181系100番台とき・あずさ」セットのクハ181-107がAssyでバラ売りされたので入手。その上、手持ちの部品「クロ151台車TR58」(4641-2D)と「クロ151/クハ151スカート」(Z04-0535)を組み合わせて、"なんちゃって"クハ181-0番台を作ってみた。ロングスカートで残り赤帯入りで、かつクロ/クロハ改造では無いクハ181となると、何号機になるのだろうか?ボンネット特急の世界」にクハ181全機台の写真が公開されているので、それによるとクハ181-10が最も近い形になるだろう。それも昭和49年から廃車になる昭和50年度のわずかの期間だが。
バックミラーは向日町所属時代に撤去されているので、この時点ではもう無い筈だが御愛嬌ということでご勘弁を。そもそも運転台上の屋根などはヘッドライトやウィンカーランプ撤去痕等で継接ぎだらけになっている筈で、こんなに奇麗では無い。
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まぁ、セットオリジナルの100番台同士を前後に繋ぐよりは、この方が楽しいでしょう。
こうして見ると、スカートの長さがクハ181の印象を変えるということを再確認した。
あと、気がついたのだが、「クハ181-10」にするなら、クハ181-107から「7」を消すだけで済むので楽だ(笑)

2013年2月24日 (日)

「架線下の気動車急行」

走行区間が電化されているのにも関わらず、気動車で運行されていた急行列車を思いつくままに挙げてみようと思う。

「赤倉」(名古屋-新潟間)

中央西線から長野・直江津を経て新潟まで行く長距離急行で、中央西線の電化完成後も昭和57年11月の改正までDC急行で走っていた。その後は165系電車化されるものの、昭和59年2月で名古屋-長野間が廃止され、長野-新潟間の急行「南越後」に短縮される。これも直ぐに消える。その血筋は特急「みのり」を経て現在残っている快速「くびき野」に引き継がれていると言えるか?

DC急行時代のエピソードは、キロ28の室内扉に「一等」表示が最後まで残っていたこと。これが見たくて、新潟から長岡まで上り「赤倉」に乗りこんだ時の写真がこれ↓。

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「しらゆき」(金沢-青森)

走行距離772kmはDC急行として長距離No1では無かったか?

金沢発9:49→青森着22:16は丸一日の旅。その間に、金沢jからは糸魚川まで急行「白馬」(松本行き)を併結、秋田では仙台からやってきた「きたかみ3号」を併結して青森まで走り切る。そういう意味では、自身は架線下DC急行だが、必要性はあったと言えるか。

東北ワイド周遊券での「乗り鉄」で、1日の締めくくりとして秋田から乗り込んだことがある。8月で非冷房の自由席車だが、ここまで来るとさほど乗客もおらず窓全開で非常に心地よかった思い出だ。

「きのくに」(天王寺-新宮)

紀勢線新宮電化(昭和53年10月)以降も、急行「きのくに」はDCのまま存続した。車両需給の関係で電車急行化出来なかった訳だが、これが昭和60年3月まで続く。

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昭和60年改正で485系が流れてきて、特急「くろしお」へ格上され急行は全廃となる。同時に南海キハ5500の乗り入れも廃止された。

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翌61年に中央東線「アルプス」全廃により、165系急行形電車が紀勢線に移動するが、すでに急行「きのくに」は無く、客車ローカルの置換え用だった。

「おが1号」(上野-秋田)

新幹線開業直前でいうと、急行「おが」は2往復あり、昼行DC秋田行きの1・2号と、夜行客車で季節運転の男鹿行き3・4号であった。採り上げるのは昼行DCの1・2号の方。

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上野を午前7時過ぎに発ち、終点秋田には午後5時前に着くダイヤで、43・10改正までは客車急行「たざわ」という名前で、食堂車も連結されていた。

板谷峠を通るDC列車だが、かつての181系「つばさ」のように補機を付けて走るということは無い。普通車が非冷房で負担が軽かったのだろう。

秋田では、これも架線下DC急行の青森行き「むつ3号」と接続し、青森には20:09に着けた。DCファンにはたまらない(?)13時間の旅を楽しめた。

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